最近、小説を書いている。
夫婦の話だ。
自分たち夫婦を、そのまま書こうと思ったわけではない。
ただ、長く一緒に暮らしていると、
夫婦というのは少しずつ不思議な関係になっていく。
「ご飯、できたよ」
「うん」
「明日、何時?」
「いつもと同じ」
それで一日が終わる。
喧嘩をしているわけではない。嫌いになったわけでもない。
ただ、昔ほど相手のことを知ろうとはしなくなった。
そんな夫婦を主人公にして、小説を書き始めた。
ところが、書いているうちに、物語が勝手に動き始めた。
妻には秘密がある。
何年も前から、別の男と会っていた。
夫には言えない理由があった。
そして私は、さらに話を膨らませた。
子供は、自分の子ではなかった。
妻はその事実を知っていた。
夫だけが知らなかった。
――そんな話になった。
もちろん、現実には何もない。
妻が浮気している証拠なんてない。子供だって、自分の子だ。
頭では分かっている。
それなのに、書いていると、だんだん分からなくなってくる。
妻がスマートフォンを伏せて置いたこと。
帰宅がいつもより少し遅かったこと。
昔もらった小さなプレゼント。
現実なら何の意味もないものが、小説の中では全部「証拠」になっていく。
「もしかしたら、本当に……」
そこまで考えて、自分でぞっとした。
何もしていない妻を、私は自分の頭の中で勝手に裏切らせている。
小説だから許される。
そう思いながら、どこかで本当の妻まで疑っている自分がいる。
そしてある夜、物語の中の夫が、妻から真実を告げられる場面を書いていた。
妻は泣いていた。
夫も泣いていた。
夫は子供の顔を思い浮かべながら、
「今まで家族だと思っていたものは、何だったんだろう」
と考える。
そこまで書いたところで、私は泣いてしまった。
自分でも驚いた。
だって、全部作り話なのだ。
現実の妻は何もしていない。
子供も、自分の子だ。
なのに私は、架空の妻を裏切らせ、
架空の子供から血のつながりまで奪って、架空の夫を泣かせた。
そして、その夫に自分自身を重ねていた。
なぜ泣いたのか、すぐには分からなかった。
しばらくして、ひとつだけ思った。
私は、失いたくなかったのだ。
妻を。
家族を。
今まで当たり前すぎて、ちゃんと見ようともしなかったものを。
長く一緒にいると、何も起こらない毎日を「何もない」と思ってしまう。
でも、何も起こらないことは、何もないことではない。
妻が今日も家にいる。
いつもの場所にいる。
いつものように、どうでもいい話をしている。
それが続いている。
それだけのことが、失って初めて大きさに気づくものなのかもしれない。
小説の中では、夫婦は壊れてしまった。
私はそこで泣いた。
でも、パソコンを閉じた現実の部屋には、妻がいる。
何も知らずに、いつものように暮らしている。
私は少しだけ申し訳なくなった。
勝手に浮気をさせて、ごめん。
勝手に家族を壊して、ごめん。
そんなことを心の中で言ってから、パソコンを閉じた。
しばらくすると、台所から妻の声がした。
「ご飯、冷めるよ」
「うん」
いつもの返事をした。
それから私は、少しだけ笑った。
何も変わっていない。
たぶん、それでいい。
小説を書かなければ、気づかなかったかもしれない。
Cafe de Manma〜カフェドマンマ〜
和歌山のへ車を走らせて、
みなべの「カフェ ド マンマ」へ行ってきた。
店に近づくにつれて視界がひらけて、
海がゆっくりと光って見える。
あの感じだけで、もう半分くらい満足してしまう。
店に入ると、窓の向こうに
広がる180°のオーシャンビュー。
「隠れ家」という言葉がぴったりで、
観光地の喧騒とは少し離れた、静かな時間が流れていた。
パスタを食べながら海を眺めていると、
なんでもない休日が少しだけ特別になる。
家族で来ても、一人でふらっと来ても、
どちらでも心がほどける場所だと思う。
帰り際、もう一度だけ海を見た。
波の音は聞こえないのに、
なぜか心の中でちゃんと響いている気がした。
また来よう。そう思わせてくれる店だった。
俺が30年くらい若ければ
デートできたいけどね。(^^♪
残暑お見舞い申し上げます
残暑が厳しい折
皆様のご健康をお祈り申し上げます
2019年のグアムの写真。
たんかんボーロ
屋久島のお土産。
たんかんボーロ。
昔ながらの素朴は味。
























