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タカへの個人的な日記-存心館

日常の個人的な日々の出来事を綴ってます。

浅草神社 浅草名所七福神 恵比寿

一日で二つの七福神を回ってるので最後のほうは
かなり時間がなくってあせってましたが、やってきたのは浅草神社です。

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浅草寺の横にあるのですごい人でした。

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推古天皇36年(628年)、檜前浜成・武成の兄弟が宮戸川(現在の隅田川)で
漁をしていたところ、網に人形の像がかかった。兄弟がこの地域で
物知りだった土師真中知に相談した所、これは観音像であると教えられ
二人は毎日観音像に祈念するようになった。その後、土師真中知は剃髪して
僧となり、自宅を寺とした。これが浅草寺の始まりである。土師真中知の歿後
真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、そのお告げに従って
真中知・浜成・武成を神として祀ったのが当社の起源
だとか。

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実際には、平安時代の末期から鎌倉時代にかけて
三人の子孫が祖先を神として祀ったものであると考えられている。
ご神体として一般の人間(漁師と僧侶)を祀っている為
神社の格としては江戸一低いといわれている
そうです。

猿回しやってました。さすが東京やね~。

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祭神は土師真中知命はじのあたいなかとも、桧前浜成命ひのくまはまなり
桧前竹成命ひのくまたけなり、東照宮

人多すぎ~。さすがは浅草って思いました。

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恵比寿像の実物は奥のほうにあるので
実際はみることできないみたいです。

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74、75枚目ゲット!

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浅草神社末社の被官稲荷神社の御朱印もゲット!

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安政元年、新門辰五郎の妻が重病で床に伏したとき
山城(現、京都府南部)の伏見稲荷神社に祈願したところ
その効果あって病気は全快しました。そして、同二年
町の人がお礼の意味も込め、伏見稲荷神社から祭神御分身を当地に
勧請しました。その後、小社を創建し、被官稲荷神社と名付けられ
現在浅草神社末社としてその境内に祀られています。
名称の由来は不明ですが、被官とは官を被(こうむ)る、ということから
就職・出世と解せばよいでしょう。被官稲荷神社正面の鳥居は
新門辰五郎により奉納されたものです
。ってことです。

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76枚目ゲットだぜぇ!

ご訪問ありがとうございました。